また、思うようになった。

昨日の記事「思うようになった。」で、「“ボウリングの紆余曲折”の“2投目の分析”が一応完成した。」とご報告(誰に?)したが、その後見た目をキレイに仕上げた。

“一応”ではなく、ちゃんと完成したのである。

と言っても、jQweryを使ってタブ形式にしただけだが。

しかも、場合によってはタブが20個以上並んで、本体サイズよりタブの方が大きくなってしまうが、それは御愛嬌。

あと、“1投目の分析”画面での、「1投目で倒した本数の割合」の数字をクリックすると、その倒した本数に応じた“2投目の分析”画面を直接呼び出せるようにした。

我ながら、クールな仕事をしたと悦に入っている。

また、最近のブラウザはそのほとんどが“タブブラウザ”なので、例えば2010年度のスコアと2011年度のスコアを同時に見たい場合は、ふたつのタブでそれぞれを開けばいいのだが、同じテーブルを見比べようとしてタブを切り替えるとビミョーに縦位置がズレていたりすると、なんだかもどかしい。

その“もどかしさ”を解消する工夫を施した。

<p id="first">1投目に残ったピンの形(<a href="#first">#</a>)</p>

上記のように、自分自身が含まれる行(<p>タグ)にリンクを張っておき、リンクをクリックするとその行がブラウザの一番上になるように表示される。

つまり、異なるタブを開いておき、それぞれでそのリンクをクリックすると、それぞれのタブで一番上に表示される行が同じになるので、結果として縦位置が同じになるのである。

我ながら、クールな仕事をしたと悦に入っている。

隣で、はなこさんが「きしょっ」っと吐き捨てたのは聞こえている。

会社のサイトもそうだが、このサイトもデザインをスタイルシートで制御している。その際、1px単位で画像の位置や文字の位置を調整していたりする。

気にならない人はまったく気にならないのだろうが、ボク自身は少しでもズレていたら、なんだか“もぞもぞ”してしまう。

我ながら、クールな仕事をしていると悦に入っている。

隣で、はなこさんが「きしょっ」っと吐き捨てているのはいつも聞こえている。

ときどき、正方形の紙を見ると、無性に角をぴっちり合わせて折り畳みたくなる衝動に駆られる。

ついでに、鶴を折ってしまっている場合が往々にしてある。

我ながら、クールな鶴を折っていると悦に入っている。

その度に、はなこさんが「きしょっ」っと吐き捨てているのは毎度のことながら聞こえている。

今現在、口髭と顎鬚を生やしているのだが、それ以外の髭は毛抜きで抜いている。

ティッシュペーパーをキレイに4分の1に折り畳み、ついでに鶴を折って、その上に抜いた髭を置くのだが、その抜いた髭を、あたかも剣山に突き刺した生け花よろしく、ティッシュ上の1点にキレイに差していく習性がボクにはある。

我ながら、クールなアートを創作したと悦に入っている。

それを見るにつけ、はなこさんが「きしょっ」っと吐き捨てているのだが、馬耳東風である。

あ~。

なんだろ?

なんていうか、、、

「きしょい」わ、オレ。

はなこさん、大正解。

ボクは基本、雑い。

実家にいた頃のボクの部屋は、いわゆるゴミ屋敷状態だった。

今ではかなりマシになったほうだが、それでもボクの身の回りは多少モノが散らかっている。

余談だが、学生時代に先輩が「今、オレの部屋で鳥が卵を産んでんねん。」と言い、その場にいた全員がきょとんとしていると、

いや、だから、散乱(産卵)してんねん、、、

この場合の、後輩としての適切な処理の仕方は未だに解明されていない。

話が逸れたが、ボクの性格としては基本的には大雑把なのだが、細かいことには“異様に”こだわってしまう“(へき)”があるのだ。

しかも、他人にとっては“どーでもえーよーな”事に対して。

文字が1pxズレていても、文章は読める。

あー、読めるとも。

抜いた髭をキレイに並べても、5分後にはそのティッシュは丸めて捨てる。

あー、捨てるとも。

でもね。

もぞもぞ”しちゃうんだよなー、、、

自分でもその“癖”がイヤになることがある。

もうちょっとその辺をウマイことできたら、もうちょっとラクなんかなーって思う。

いつもはなこさんにも言われることなのだが、スポーツだとかクルマの運転だとか、ボクは他人と比べると比較的なんでも器用にこなすほうだと自分でも思う。

しかし、「生き方」としてはかなり不器用だ。

細かいことが“気になる”だけでなく、細かいことを“考えすぎて”しまう嫌いがある。

いや、社会人になるまでは「あまり考えない」ようにしてなんとか過ごしてきた。

考えなくても、なんだか“なるようになって”きた。

多分、世の中を舐めていたんだと思う。

高校の卒業アルバムに「座右の銘は“為せば成る”です。」って、それは為してもないのに成っちゃってただけだっつーの、バカじゃね?

しかし社会人となり、「あまり考えない」まま過ごしているうちに、それが通用しないことが徐々に理解りだした。

でも、考えないでいた。

これまで通り、なんとかなるだろうと舐めていた。

気が付けば、色んな事で身動きが取れないようになり、「なんともならない」状況にハマっていた。

そりゃ為してもないのに成るワケねーっつーの、普通、バカじゃね?

そしたら、パンクした。“プシュー”って。

世の中、そんなに甘いモンじゃねえよ、って思い知らされた。

それからは、色々考えるようになった。

いや、それこそどうでもいいようなことまで、「考え過ぎる」ようになった。

それはそれで、またしんどい。

で、ときどきまた“プシュー”ってなる。

これまた、はなこさんや後輩によく言われることなのだが、ボクはどうやら「バランス派」らしい。

でも、その辺のバランス感覚はまるで持ち合わせていない。

「考える」ことに関してはてんで不器用なのである。

ボクの大好きなMr.Childrenの曲【HANABI】に、こんな歌詞がある。

考えすぎで言葉に詰まる

自分の不器用さが嫌い

でも妙に器用に立ち振舞う

自分はそれ以上に嫌い

ちょっと違うかもしれないが、少し似ている気がする。

今は、それでいいと思っている。

何も考えないで世の中渡ってきた挙句パンクしたのなら、これからは考え過ぎてパンクするほうがまだマシ。

歌詞には、続きがある。

笑っていても 泣いて過ごしても

平等に時は流れる

未来が僕らを呼んでる

その声は今 君にも聞こえていますか?

もう30代後半に差しかかった“ええおっちゃん”になってしまってはいるが、それでもまだ残された未来がある。

未来に向かってどう生きていくべきか、明確な答えはまだ見つかっていないが、平等に時が流れる中、考え過ぎだろうがなんだろうが、それでも精いっぱい考えてもがいていくのが“ええおっちゃん”の過ごし方なのかなと思う。

一体どんな理想を描いたらいい?

どんな希望を抱き進んだらいい?

答えようもないその問いかけは

日常に葬られてく

君がいたらなんていうかなぁ

「暗い」と茶化して笑うのかなぁ

その柔らかな笑顔に触れて

僕の憂鬱が吹き飛んだらいいのに

幸いなことに、考え過ぎのボクの隣にはいつも「きしょっ」と茶化して笑ってくれる人がいる。

は!

しまった!

この“締め方”が一番「きしょっ